思考の癖を直すには

昨日はまた自転車で20kmほど走ってきました。

これぐらいの距離ならば1時間ちょっとで走れるので軽く運動するならばこの距離で、それよりもう少し時間を取って運動するならば30km以上という感覚になっています。
まあその筋の人には150kmぐらいまではロングライドとは言わないらしいので、僕が今走っている距離は超短距離もいいところです。

そして昨日のコースは保土ヶ谷から戸塚までを周ってくるという、一部は箱根駅伝のコースを辿るルートでした。
ところがこれがなかなかにアップダウンが激しくて、今の自分にとっては軽い運動では全然済みませんでした。

箱根駅伝を見ていれば権太坂という名称を聞いたことがあると思いますが、これがゆるい登りが延々と続いて漕いでも全然スピードが乗らないし体力を削られました。
その他にも、上り下りが何ヶ所かありました。
自動車で坂を登るときは「・・・(坂か)」という程度ですが、自転車で坂を登っているときは必死になりながらどこが頂上なのかを探しているというのに気づきました。

そんなわけで昨日は快眠だったのですが、今日は昨日の疲れをまだ引きずっています。

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楽して稼ぐ人って

さて今日の本題ですが、他人が儲ける事を率直にどう思うでしょうか?

特に、インターネット上で有名になっている人の中には、旅行だなんだと遊んでばかりなのに収入が会社員の比ではないという人が多くいます。
そういう人達を見て、凄いと感心するか、もしくは自分もそうなりたいと思ってその人のことについて調べるかあると思います。

ただ割合的に一番多いのは、その人を批判することではないでしょうか。
僕が最近お付き合いのある人たちには批判するような人は少ないですが、一般的には決してそうではないのではなかろうかと思います。

かく言う僕も、昔はその他大勢の方に入っていたと思います。
実は自分もそうなりたいと心の奥では思いながら、楽して稼ぐのは日本人の美徳ではないとか何とか言いながらその人を批判してしまっていました。

ただこの考え方はとても損だと思うようになって、その人のようになりたければその人の考え方や行動を素直に聞くようになりました。

大体、批判や妬みなどという負の感情を持つと、そのマイナスはそのまま自分に跳ね返ってくるので、いつまで経っても自分が幸せにはなれません。
もちろんそうするのがダメと言うつもりはなくて、批判して溜飲を下げるのが楽しいという人に対してそれを否定するつもりはありません。
その人にとって何が一番いいかというのは人それぞれなので、そこまで僕が決める権限はありません。

もっと小さいスケールでも

と、ここまでの話は収入が何千万とか億単位の人を対象にしたつもりです。
しかしそこまで規模が大きくなくて、もっと小さい単位でもそんな事が往々にしてあるのではないかと思います、というか確実にあるのですが。

例えば、自分が仕入れたものに価格を上乗せて販売して、それで利益を得たとします。
その自分が販売した相手が、その商品にさらに価格を上乗せしてまた別の人に販売していたらどう思うでしょうか。

チックショォ~~~と、コウメ太夫さんの決め台詞のような感情になることはないでしょうか。

こう思う人は確実に存在すると断言できます。
なぜならば、ヤフオクを見ていると「業者には販売しません」という人がいるからです。
同じ値段で販売するのであれば、相手が個人だろうが業者だろうがこちらとしては何も変わりありません。
ところが相手が儲けるというのが気に入らないのかなんなのか分かりませんが、何故か嫌がる人がいます。

落札された後に、相手が業者だからキャンセルするという人もいます。
こんなやつです。

これでキャンセルするのはまあ出品者の勝手です。
しかし”落札者の都合”でキャンセルというのはさすがにいかがなものかと思います。
これは流石に誰がどう見ても出品者の都合なので、こんな理由で低評価を付けられたこの業者さんには同情します。

思考を修正する

最初に挙げた話のように、負の感情が自分に跳ね返ってきて間接的に損をするような事もあれば、次に挙げた例のように売上を失うという直接的な損になることもあります。

どちらにしても、このような考え方は自分にとって損になるので、もしこのように考えてしまっているという場合には考え方を改めることをおすすめします。

人間には、箸を使うときは右手でエスカレーターから降りる時の最初の一歩は左足からとか、もしくはお風呂で体を洗う順番だとか、いろいろな癖を持って生活しています。

これと同様に、思考にも癖があります。
・・・というのは川島和正さんの講演で伺った言葉ですが。

自分は生まれつきこういう考え方なのだからどうしようもないと諦めがちですが、自分の思考の癖を直すことは可能です。
ただ少し面倒臭いと言うだけで。
ただその面倒臭さというのも、右手で箸を使っていたのを左手で使えるようにするというのと対して変わらないものです。

こういうように考えられるようになりたいと思う考え方を、最初は無理にでもするようにしていると、段々と自然にそう考えられるようになっていきます。
僕もそれで、ある程度の思考の修正はしてきました。

それでもまだまだ人間のできていない部分が多々あるので、そこはこれから気づいたらその都度直していきます。

ある出来事に対して、プラスに考えてもマイナスに考えても、少なくとも自分以外の部分は何も変わりません。
それならばマイナスに考えるよりもプラスに考えた方が得だと思いませんか?

まとまりのない締めになりましたが、そんな感じで僕は日々を生きています。

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