さて、TOEIC受験日まであと1週間になりました。
受験票も届いたので、写真を貼って署名しておかなければなりません。
そして試験対策のようなものは全くやっていなくて、普段の学習メニューをこなしているだけです。
よく対策をすればスコアが上がると言いますが、自分にとっては資格としての意味合いは全く無くて、純粋に今の自分の英語力を測る物差しとして使用したいだけなので、対策のようなものは今後もやるつもりはありません。
ただ今の自分の英語力でTOEICの問題をどう感じるかの確認をするために、問題集をちょっとだけ見てみようと思っています。
物差しの取り扱いに慣れていないために正確なスコアが出ないというのも、受験料がもったいないので。
という事で、今日は英文法の学習に対して自分の考えを書いてみます。
英文法の学習は必要か不要か
英文法の学習については、必要派と不要派に分かれます。
不要派の意見としては、文法を考えながらのアウトプットではコミュニケーションの道具として使い物にならないとか、日本人が日本語を話す際に文法を気にしていないようにアメリカ人が英語を話す際にも文法を気にしていないんだから必要ないとか、日本語を覚える過程で文法の学習はしなかったとか、いろいろあります。
それに対して必要派の意見としては、正しいルールを知らなければ正しい言葉は話せないとか、日本語が完成された今から新しい言語を覚えるには文法を知っていた方がいいとか、これまたいろいろあります。
僕は、このブログを読んでくれている方なら気づいているかもしれませんが、英語を覚えるに当たって文法の学習は必要だという考えです。
必要と言うよりも、文法を学習する方が近道だという方が自分の考えに近いかもしれません。
文法を学習せずに英語を習得できるか?
我々が日本語を覚えた過程を考えてみます。
まず生まれた時は、コミュニケーションツールとしての言語を何も持っていません。
その後2~3歳ぐらいまでにたどたどしい言葉ならば聞いたり話したりできるようになり、小学校ぐらいで簡単な読み書きまでできるようになります。
そして中学高校と進み、ようやく一般的な文章の読み書きができるようになります。
その後は、読書の習慣があるかないかによって日本語の運用能力は雲泥の差が出てきますが
とりあえず小学生レベルの日本語能力があれば日本で生きていくのに困らないので、運用能力の差がはっきりと表れるような機会はあまり多くないかもしれません。
英語学習者も同じように、英語以外の言語に一切触れることなく英語だけの環境で、生まれてから小学生になるまでと同じ約10年ぐらいを過ごせば、小学生レベルのものが身につくかもしれません。
寝ている時間以外全て、1日約16時間ぐらい英語にだけ触れるのを10年間ぐらいやれば、恐らく小学生レベルの英語が身に付くんだろうと思います。
これと同じことを、日本国内にいながらの学習で達成しようと思うと、時間がかかりすぎて仕方がありません。
例えば1日4時間学習するとすれば(学習中は日本語を思い浮かべることすら禁止です)、40年で同じ学習量になります。
20歳から学習を始めたならば、学習終了時には60歳ぐらいになります。
これでいいというのでいあればいいのですが、普通に考えたら効率が悪すぎでしょう。
文法を学習しても使える英語は身につかない?
我々は、中学高校と英文法を一通り学習します。
今では小学校から英語を学習しているようですが。
この知識をしっかり身に付けたとしても、それだけで英語を使えるようになる人はほとんどいません。
それは文法の学習そのものが悪いのではなくて、受験英語の求めるレベルが知識までだからです。
自動車の運転を覚える際に、まずクラッチを思いっきり踏み込んでから、次にギアをニュートラルからローに入れて、右足をブレーキペダルからアクセルペダルに置いて、アクセルを少しずつ開けながらクラッチを少しずつ繋いでいく、というのを知識として覚えます。
これを知識として知っているだけで運転ができるようになるかというと、そんな事はほぼありません。
知識として知っていても、身体がその通りに動いてくれません。
仮に動いたとしても、手順を一つずつ思い出しながら「次はああやってこうやって・・・」と、かなりたどたどしい動きになります。
でもこの練習を繰り返していくうちに、動きがスムーズになっていき、最終的には手順を意識することもなく自然な動作でできるようになります。
受験英語の場合は、知識として覚えていればとりあえず対処できるため、それ以上の実際に言葉を使えるようになる練習をすることなく英語学習を終える人がほとんどです。
すみません、自動車の運転をしたことがない方にとってはイメージがしにくかったかもしれません。
英文法とは何か
英文法とは何か?って考えたことがあるでしょうか。
言語とは元々、文法のようなルールが完成するよりも先に読み書きされるようになります。
赤ちゃんが日本語を覚えるまでの過程と同じような感じで代々受け継がれてきて、そして時代によって少しずつ形を変えてきたものが、今ある言語です。
文法とは、そこに後付でルールを当てはめたものになります。
国語でも文法の授業がありますが、これはあまり意味がないと思っています。
なぜならば、文法を知らなくても日本語を運用できるからです。
授業で国文法を学習する理由は、その後古典文法を学習する際のベースになる知識としての意味合いが強いのかもしれません。
日本人が学習する英文法は、多分できてからまだ200年も経っていないでしょう。
ペリーが日本にやって来たのが1853年なので、その後から日本で英語学習が始まったとしても約150年ぐらいでしょうか。
その約150年前ぐらいの先人たちが、英語のルールを日本人にとって理解しやすいように作ってくれたものが、今日本で学習されている英文法です。
もしかしたら、元々外国語版の英文法がすでに存在していて、それを日本語に翻訳したというものかもしれません。
今では英文法は日本や韓国などアジア圏ぐらいでしか学習されていないようです。
これはなるほどと思う事で、その他ヨーロッパの言語は英語と語順が比較的近かったり似た単語もあったりします。
それと比べて日本語と英語との距離は、あまりにもかけ離れています。
まず単語も全く異なれば、語順も全く異なります。
一番分かりやすいのが、日本語は「主語+いろいろ+述語」なのが、英語は「主語+述語+いろいろ」です。
ある物を説明する場合は、日本語ならば「これこれこういう+物」となりますが、英語は「物+これこれこういう」という順番になります。
あまりに違いすぎるために、我々が英語を習得するためには先にルールを知る方が早いです。
すでに日本語の文構造のような知識は意識はしないにしてもできあがっているので、その日本語の知識を使って新たに英語を学習するための橋渡しをしてくれるものが英文法だと考えています。
これを学習することで、まっさらな状態から文法に頼らずに言語を身に付けることと比べて、遥かに短時間で英語を身に付けることができるというものです。
英文法学習の先
これらを考えると、文法を学習する先はどこを目指せばいいかというのも見えてきます。
最終的には、文法ルールを意識することなく感覚レベルで、しかしルールとしては正しい文構造で読み書きなどインプットとアウトプットができるようになれば、文法の学習は終了です。
なので、受験英語と実用的な英語習得のための学習との方向性が完全にズレているわけではありません。
ただルールを知るだけで終わってしまい、それを実用レベルにするためのトレーニングがあまりなされないので、受験英語を習得しても使えるようにならないというだけです。
英文法の学習は、英語学習の中でももっとも短期間で終わると言われています。
単語や熟語は星の数ほど存在します。
僕は日本語を使い続けて40年ほどになりますが、それでもまだ知らない日本語の単語や熟語が山ほどあるでしょう。
英語学習においてもそれは同じで、単語や熟語の学習には終わりがありません。
英文法は、新しい文構造がどんどん出てくるという事はあり得ません。
というか、ルールが無限に存在したら、それは最早ルールではありません。
受験対策ならばまずは知識を身に付けることだけに集中して、使える英語を身につけたいならば知識を実用レベルに昇華させるような練習を意識して行うといいでしょう。
前回のTOEICの結果は散々でしたが、その時に感じた課題であった「読めない」という点を特に強化するような学習を今のところ行っています。
具体的には、とにかくたくさん読むというだけです。
これが難しい文章から入ってしまうと、読めるようになるより前に挫けてしまうので、最初は使用単語数が制限された簡単な本からです。
最初はと言うか、今でもまだ読めるようになった感じではないのでそれを続けています。
おかげで、英語を読むことに関して以前ほどの抵抗を感じることがなくなってきた気がします。
以前は長文を見ると「おえぇ~」となっていましたが、今はそこまで抵抗を感じることがなくなりました。
理想は、文構造の解析をする必要なく、このレベルの本ならば日本語を読むのと同じ感覚で内容が入ってくるようになるレベルです。
完璧でないにしても大分できるようになってきたら、徐々に難しい文章に移行していいのかもしれません。
リーディングの学習については、あるレベルを境にして学習から娯楽に変わっていくと思っているので、早くそこに達するのが今の自分の目標です。